他人の大きな失敗に対してどのような対応をするか?自信へのつなげ方

一つの物事が起きた時に、考え方は、分かれます。
例えば、住宅会社で重大な構造によるミスがあった。
そのために、人の命が失われた。
そこにいた会社の人は、世間からは叩かれます。

それこそ、ボロクソに言われます。そこで、設計を担当していた人なんかは、まるでその人に全責任があるかのように攻められます。

確かに、こういった問題が起きた場合、そういった見方もできますし、責任はあります。責任を問われて当然。
それに、責任を覆うべきです。

ただここで、こういった問題が起きた時に、そこを徹底的に攻める人を、私が回りにいて、冷静に見ていて、信頼できるのか。となると、話は別です。

この人は、あまり信頼したくない人だな。
と思ったり、もう少し色々な角度から見ようと思います。

物事を、このように一つの方向からみて、これが正義だ。これは悪だ。と決め付けてしまう場合、それ以外の可能性には、目がいかない。

他の可能性を考えられない人である事を、良く分かっています。

他の事を考えるというのは、また違った立場から立つという事です。

例えば、その住宅会社の中の一員であれば、現状はどうだったのか。もしかすると、その担当者は、自分のクビをかけて、会社に抗議していたかもしれません。

長年、構造の欠陥について、訴えていたかもしれません。
ただ、その大きな組織の中にいると、その声は届かない。
もみ消される。
そういった事は、良くある事です。

この面を、ある程度、安定した心で考えられる人ならば、見る事ができます。

そのため、一面だけを見て、徹底的に攻める事の必要性は、そこまで高く無い事を、理解しています。

目に見える事が全てではない。

この当たり前の事を当たり前に理解できている。こういった人には、自分に対する余裕や、安定、そして、自信が備わっています。

自分というものが、安定しているので、他の立場に立って物事を考える事ができ、その他の立場から、考える事で、新しい考えが生み出されます。この他の立場になって考えられない場合、新しい事を生み出す事はできませんし、生産性のある話はできません。

ただ、担当者を責めて、そこで、話が完結するからです。

考えるべき事は、担当者を責めて話を完結させる事ではなく、その後、どうしたら良いのかを、この経験を踏まえて、改めて考える事であり、責任を押し付ける事ではありません。

そもそも、このケースで言えば、責める人というのが、大体、一番無責任な人だったりします。

あまり物事を考えず、無責任に、目の前の人を責める。
自分が上という立場に立ち、責める事で、優越感を得たい。

そういった気持ちが、少なからずあるのかもしれません。

そして、もうお分かりかと思いますが、このように自分が上の立場にたって、人を責めたいという人は、自分に自信がないので、責める事で、その穴を埋めたいと、感じていて、こういった行為をする事で、満足しようとします。

当然、こんな事をしたからといって、自信が無い事が埋まるはずもありません。
逆に、もっと自分の中での不満が鬱積して、さらに、また別にこのようなケースがあると、もっと激しく、責めます。

この繰り返しです。その人から、生産性のある事が生み出される事は無いわけです。

そして、その様子を見ている人は、その人は、信頼できない、ただのヒステリックで、幼稚な人間性を持った人だと判断されて、敬遠されるのです。

なぜ、自分が敬遠されるのか、分からず、なぜ、人が自分を避けるのか分からず。

自分のような人間を理解できない、回りはバカばっかりだという結論を持ったりしますが、自分の事は見えないのです。

ちゃんと、人間というものを理解すれば、このような件が起きても、一個人を責める意味が無い事が分かってくるはずです。

そこの立場にたって、やっと、では、どうしていく事が、ベターな選択になるのだろうか。やっと、ここが考えられるようになります。

次の良い展開を考えるためには、人間は、愚かな部分がある事を、ちゃんと理解する必要があります。

もちろん、自分にも、こういったおろかな部分が多々ある事を認めて。その上で、どうやっていこうか。そうやって考えられるようになるから、信頼してもらえるようになりますし、いわゆる「大人」と呼ばれるような存在になれます。

回りを見ていると、お分かりになるかもしれませんが、こういった事に近い件が起きると、ヒステリックな反応をする男性は、多い事に気がつかれると思います。

だから、あなたは、そういった場面でも、人間を理解しておく事で、ちょっと違った考え方、一歩踏み込んだ考え方ができるようになります。

そして、そういった考えができる事は、自信に繋がっていきます。

このページの先頭へ