何をやっても楽しくない!その原因と解決方法は?

何をやっても楽しくない。何か楽しい事はないか。楽しい事を教えてください。

楽しい事とは、どういった事ですか。
こういった話になる事があります。

知人に、回りから見ると、誰とでも一緒に遊べて、いつも楽しそうに見える人がいました。

その人は、いつでも、人の中にいて、その中で、楽しそうに、遊びをしているように見えました。

ある時に、二人で飲んでいました。
私が、「いつも楽しそうだよね。」

このような言葉を言うと、突然、表情が変わりました。
「つまらない。いつも、つまらない。」

私は不思議に思って話を聞きました。

あんなにいつも人に囲まれていて、楽しそうに遊んでいるのに、いつも、つまらないという理由が、分からなかったのです。

ただ、その日は、原因らしいものは、何一つ分かりませんでした。

その後、その彼と、一緒に過ごす事が多かったので、実際に、内側に入って、関わっていると、段々とその彼のやっている事が見えてきました。

その彼は、なぜ、多くの人に囲まれているのか。

その彼は、回りの人が、何かをやろうと言えば、全部に参加をする。ただ、自分では、何かをしようとは、提案する事が 1 回も無かった。

提案されたものを、否定する事も一回もない。

自分の都合が悪くても、回りに人の予定に無理やり合わせる。しわ寄せがあるだろうなと、私が感じるような場合でも、絶対に予定を合わせる。

後から感じた事なのですが、そういったようにしないと、回りの人から仲間はずれにされるのだと感じていたのではないかと思います。

だから、自分から何かを提案する事はない。

回りの人が提案した事には、無理をしてでも、参加する。

その中に自分が居る事が、その彼にとっては、一番大切な事で、そうしているから、仲間だと認められていると、強く考えていたのだと思います。

そして、なぜ、何をやっても楽しくないのか。その理由が分かってきました。

当たり前と言われれば当たり前なのですが、その彼は、自分がやりたい事は、何もやっていませんでした。

回りの人間がやりたいと思っている事に、自分も合わせているだけで、それが自分のやりたい事であるかは、考慮にいれていませんでした。

ただ、回りにあわせて、その中に自分がいる。これだけが重要だから。

何をやるかは問題になっていなく、そのやっている事を楽しもうという気持ちもありませんでした。

楽しもうという気持ちが持てる状態でも無かった。
その場にいる事だけに、必死だったから。

自分は何をしたいのか。
自分は、何をすると楽しいのか。

その場にいて、そのイベントを楽しむには、どうしたら良いのか。これを考えていなかった。

実際に、自分を楽しませるという方法も知らなかった。

だから、その彼は、
「いつでも楽しくない。楽しいと思った事が無い。」

このような発言をしたのだと、薄っすらと分かってきたのです。
楽しむ事のメカニズムというのは、自分が何に興味を持っているのかを知って、その興味を持っているものに対して、目標を決める。

そして、決めた目標に向かって、試行錯誤したりする。

結果として、それが達成できた時や、それを一生懸命にやっている時に、「今、すごく楽しい。」と感じる。

この彼は、それを一切やっていません。
そうなると、楽しいと感じれる事がないのです。

楽しいと感じるメカニズムを、理解していませんでしたし、自分を楽しませる事を考えていなかった。

そうなると、解決策はある程度見えてきますね。

まずは、自分は、何をやってみたいのかを考えてみたり、色々とやってみる。その中で、ああ、これは、ちょっと興味が持てそうだな。

そう感じた事に対して、次は、どういった事をやってみようかと考えてみる。
そして、それを達成するように、自分を仕向けてみる。


そうやって、段階を踏む事により、やっている物事が楽しくなってきます。
大切な事は、自分で何をやりたいかを考えて決める事にあるのです。他人が用意したものより、自分で選択している事が大切。

自分で選択して、目標を立てて、クリアーしていく事ができれば、その物事がどういった物事であれ、楽しむ事ができますし、自分に対して納得する事ができます。

この自分がやった事に納得する事ができる事。

ここが大切です。

納得ができる事で、自分を肯定できるようになっていきます。自分で決めた事、例えば、週に 10 キロは歩くと決める。

その目標を決めて、半年、1 年続ける事ができた。

自分で考えて、自分で目標を決めて、それを達成した。
その結果が、自分を肯定する事ができる事につながります。こういった小さい積み重ねが大切です。


ただ、これが、自分で決めた事ではなく、回りの人が決めた事に、流されて、断る事ができずにやった場合。

肯定する事があまりできなかったりします。

例えば、回りの人の中で、富士山の御来光が見たいという話になった。
盛り上がって、見に行く事になった。
特に興味はないけれど、断る事はできない。
だから、流されるように行く事になった。

そして、やっと、山頂に到着して、ご来光を見る事ができた。

しかし、あまり達成感や、自分を肯定する気持ちが、沸き起こる感じもなく、やっと、終わった、疲れた、帰りたい、早く下山して寝たい。

もう、富士山には、二度と行きたくない。
ただ、つらいだけだ。
こういった考えに、到着してしまう。

この差は、自発的であったか、それとも、他の人からの流れになんとなく乗っただけかという点にあります。

週に 10 キロ歩くという目標を達成した人が、自分に対する肯定的な気持ちを手に入れた。

一方、富士山でご来光を見たが、何も達成感を得る事もなく、自分を肯定する気持ちにもなれなかった。

ただ、自発であるか、そうでないかで、こういった差が生まれるのです。

自分が好きでやっているならば、人間は、失敗しても、それを受け入れる事ができますし、また、チャレンジする気になれます。もし、富士山で御来光を見る事が、自分で決めた自分の目標ならば。

もし、悪天候で、頂上まで言っても、御来光が見る事ができなかったとしても、また登りたい、次こそは、見れるはずだ。
といったように、再チャレンジする事に、希望を燃やします。

これが、自分で決めた事でないならば、折角、苦しい思いをして、頂上まで言ったのに、悪天候のせいで、御来光も見れなかった。

いったい、何のために登ったのかも分からない。
つらい思いをして、何も得る事が無く帰る。

こんなつらいだけなんて、富士山など、二度と行くものか。このようになってしまう。

自分でがんばったら、失敗しても、それは失敗になりません。

他人が決めた事を、流れでやって、失敗をすると、二度とやるものかと思ってしまう。

富士山に対して、嫌悪感を持つ、もっと言えば、登山という行為に嫌悪感を持ってしまって、やろうとは思わなくなる。

がんばれるか、がんばれないかの差は、こういった所から生まれたりします。

何かを、やっていこうと思うと、大抵は、失敗します。
そこで、もう一回チャレンジして、がんばれるかどうか。

それが、その後の成功への分かれ道になります。

まず、その前に、もう一回チャレンジしようと思える事、がんばろうと思える事が、大切になります。

この場合も、結局、自発だったのかどうかが、重要になるのです。

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